「歩きながら物を食べてはいけません」
「静かに歩きなさい」
子供の頃、親や学校の先生等から道徳的意味合いで誰しも一度は言われた事が有る言葉ではないでしょうか?
諸外国と比較して宗教による道徳教育が一般的ではない日本では、道徳観は武士道に大きく由来していると言う有名な説が有ります。
世界的な大反響を巻き起こした『武士道』の著者、新渡戸稲造氏による見解です。
武道は身体性の文化と言われています。
身体性の文化で有る成らば、その教え(今回で有れば道徳観)の中に、身体操作の具体的な技術が内包されていると見る事が自然です。
私は史実や文化的側面からその説の真偽について語れる様な立場に有りませんが、度々言及させて頂いている歩行の動作的視点から触れ、4Dモーショントレーニングシステムの検証されたトレーニング体系を手掛かりに考察を試みたいと思います。
1、歩きながら物を食べてはいけないのは何故?
その方の日常生活動作やスポーツ競技動作の傾向は、歩行動作に集約されると言うお話しを以前させて頂きました。
仮に侍の立場に成って解釈して見ますと、生死を懸けた戦闘の為には、無駄を省き究極的な迄に歩行の効率を追求しなければ成らないと言う考え方です。
歩行は身体(重心=骨盤周辺)を前方(正しくは斜め前方)へ移動させる動作です。
歩行でスムーズに身体の重心を前方へ移動させる為には、動作的に重要なポイントが幾つかございますが、正しく合理的な腕振り動作もその一つです。
物を食べる時には口に物を運ぶ為に、上腕二頭筋(力こぶの筋肉)を活動させなければ成りません。
上腕二頭筋は肩甲骨に繋がっていて、歩行時に弛緩(リラックス)させる事が出来ないと、正しく合理的な腕振り動作の邪魔をしてしまう筋肉です。
正しく理想的な腕振り動作では、腕を後方へスイングする際、斜め前方へ移動する骨盤とのバランスを取る為に肩甲骨は肋骨から剥がされて、骨盤の移動方向とは反対の身体の斜め後方へ移動します。
この時の肩甲骨の剥がれ具合の差(肘と骨盤との距離=肩甲骨周辺の筋肉の柔軟性)は、スポーツ競技等では身体能力の差と成って現れます(柔軟性向上の為にトレーニングが必要と成る部分です)。
上腕二頭筋が活動すると肩甲骨は肋骨に張り付き、身体の斜め前方へ移動する様な真逆の動きをしてしまい、結果、身体バランスや神経筋制御等の関係から骨盤(重心位置周辺)のスムーズな移動は妨げられてしまいます。
当施設のトレーニング動作はスポーツ競技や歩行動作のパフォーマンスの向上、身体の機能改善等に直結する様体系付けられていますが、トレーニング中に上腕二頭筋を弛緩させたり活動のタイミングを遅らせる為に、様々な技術(身体操作法)を駆使してトレーニングする事も大きな特徴と成っています。
動作を繰り返すと脳は動作の履歴を記録し、本人の意識とは関係なく履歴を再現しようとします(悪い動作を繰り返すと悪い動作の癖が付く)。
物を食べながら歩行を繰り返す事は、歩行動作の本質的な部分(重心の移動)に自ら問題を抱え込む事を意味しています。
補足
当施設の考え方と致しましては、スポーツ競技動作時の手や腕の扱い方(侍で有れば刀を振る手や腕の扱い方)等も、歩行の正しく合理的な腕振り動作を応用した形と考えています。
更に歩行中に食事を取る事は、自律神経の働きを無意識に副交感神経優位の方向に変化させてしまいます。
副交感神経優位の状態は歩行(活動)モードとは真逆の休息モードの状態です(眠く成ったり呼吸循環器系等や筋活動等も歩行⦅活動⦆に適さない様に制御された状態)。
歩行に適していない神経系統(脳を含む)の制御下で、歩行のパフォーマンスを究極まで高める事は至難の業、言い換えますと甘い考え方なのかも知れません。
2、静かに歩かなければ成らないのは何故?
音を大きく立てる様な歩き方は歩行動作の効率を低下させたり、身体に負担が掛かる様な歩き方です。
自動車等の機械でも長く使用されて音が大きく出る様に成った状態は、効率が低下して性能が落ちて来たり故障が予測される様な状態です。
私の愛車も古いので、整備や修理の為に自動車ディーラーへ伺う事も有りますが、音から車の問題を特定する作業は、プロの整備士の方でも簡単な作業ではない印象です。
抽象的な音の様子から歩行動作の具体的な問題を見つけ出す作業も、一部の方を除き難しい作業と成ります。
冬の凍結した路面を歩いてみる事が、歩行動作の効率の良し悪しを判断する分かり易い方法に成るかと思います(非常に危険ですので子供やご年配の方は絶対に行わないで下さい!!)。
(路面μの低い滑り易い雨のサーキットで正確無比なドライビングテクニックを用い、抜群の強さを見せた伝説のF1ドライバー、故アイルトン・セナ選手の事を思い出してしまいます…)
無駄が有り効率の悪い歩き方は凍結した路面では転倒に繋がります。
凍結した路面を転倒せずに歩く為には、路面に対して垂直方向に力を加える様な身体操作技術(=凍結した路面に対し骨格を利用して垂直な下肢の軸を形成し、軸の真上に骨盤⦅身体重心⦆を乗り込ませ加重する様な動作/脚を前方へ大きく振り出し過ぎて強くブレーキを掛け過ぎたり、後方へ大きく蹴る様な動作、骨盤が側方へ大きくぶれる様な動作はスリップして転倒を招く原因を作ります=凍結した路面に脚を斜めにポジショニングして加重するとスリップして脚の傾斜方向へ転倒するイメージです/骨格を上手に利用して垂直な軸を形成し効率よく路面に力を伝える事が出来ますと、凍結していない路面では瞬間的に非常に大きな力の受け渡しをする事が可能と成ります)、更には路面に対しての繊細な力の掛け具合(足を着地させる時の力加減やスピードのコントロール)等も必要に成って来ます。
凍結した路面に垂直方向に力を伝える為には、路面に対して脛(脛の骨)を垂直にポジショニングして着地出来る動作が有効です。
言い換えますと足底の土踏まずの横、外くるぶしの下辺りで路面を押える様な動作です。
脛を路面に対して垂直方向にポジショニングして着地する様に動作すると、足底がフラット(水平)に近い形で路面に接地する事に成ります。
歩行、走行、取り組まれているスポーツ競技の動作、またはその方のお身体の状態やその日の体調等により、路面へは外くるぶし下、爪先側、踵側のそれぞれ何処からから接地するのか微妙な差が生まれますが、最終的に踏み込まれて路面に対して加重し反発の力を貰う中心としたい理想の部分は、あくまでも脛の骨の真下の外くるぶし下周辺です。
母指球や踵に固執して固執した部分を強く使ってしまったり、一般的に言われているべた足やすり足等と誤認されている方もいらっしゃいますが、この辺の微妙なニュアンスの違いは、ジムで実際にお身体を使ってご理解頂く方法が一番宜しいかと思います。
足底がフラットに近い形で接地するので踵や爪先側の踏み込みの量(落下量)が比較的少なく成り、足裏の圧(加重位置)の移動を使い足底全体を使用して路面を捉える様な動作(タイヤが転がりながら路面を捉えて行く様なイメージ)に近付く事から、足音が比較的静かな物と成ります。
*足音を静かにする事が主目的では有りません(抜き足差し足忍び足の様なイメージでは有りません)。歩行動作の効率向上の為に技術(身体操作法)や力の掛け具合、スピードの繊細なコントロール等を求めた結果、音が静かに成って行くイメージです。
着地後も路面に対して脛を垂直方向にポジショニングしながら動作(股関節を伸展させ更に大腿部も垂直にポジショニングする)したいのですが、膝が動かせない事を補う意味で(膝位置を前後に動かしてしまうと動作中路面に対する脛の角度を垂直に保てない為)、股関節や股関節と連動する胸腰椎移行部(背骨)に相応の動き、柔軟性が求められます。
当施設のトレーニングが、股関節や肩甲骨周辺の動きや柔軟性(胸腰椎移行部の動きを引き出すには、肩甲骨周辺の動きや柔軟性を引き出す必要が有る為)を重要視している一つの理由です。
膝伸展(膝関節を伸ばす動作)で腿前の小さな大腿四頭筋群が強く使われるのではなく、股関節の伸展(股関節を伸ばす動作)で腿裏のハムストリングスや殿筋群、内転筋群等の大筋群が総動員されて使われる様な動作です。
筋量が同じ身体で有っても出力が段違いに大きく、身体が楽で、膝や腰、足首等への負担が少ない事が特徴の動作です。
*野球のイチロー選手、陸上競技の桐生祥秀選手やウサイン・ボルト選手、カール・ルイス選手等が足をフラットに着地させる同様な技術を使い高いパフォーマンスを発揮していました。
今回お話しをさせて頂いた歩行の効率を向上させる為の技術が表現出来ますと、外部環境から自身の身(健康)を護ったり、機能改善等にも繋がる事は非常に興味深い事実です。
*脛や大腿部の骨に関しましては、地面に対して極力垂直な軸を形成して適切な方向(骨に負担の無い方向=曲がりや疲労骨折等の原因となる刺激が入らない方向=長軸方向/骨は長軸方向に力を掛けると骨密度が増すと言われています)に力を掛ける動作に成りますので、ご高齢の方の骨密度を高める運動として見ても安全で有効な動作と言えます。
鍛えると言う言葉が有りますが、当施設が目指している歩行動作やトレーニングの方向性と致しましては、効率を求めて(無駄を省き)研ぎ澄ますと言う表現の方がイメージして頂き易いのかも知れません(ジム内はピリピリとして張り詰めた、怖い雰囲気ではございませんのでご安心下さい⦅笑⦆)。
歩行に関してのお話しはとても一度で終われる内容の物ではございません。
勿論私もまだまだ勉強中です。
再び機会を頂き少しずつお話しをさせて頂ければと思っています。
歴史を辿りますと日本には、匠(職人)の技等世界でも類を見ない優れた技術が庶民の生活の中に沢山有りました。
形その物がない身体操作技術は伝承されなければ失われてしまいます。
再現を試みる為には現在有る考え方や技術を用いて想像に頼らざるを得ません。
果たして日本人の道徳観は武士道に大きく由来しているのでしょうか?
ここ迄お付き合い頂きました皆さんに結論を委ね、文章を終わらせて頂きたいと思います。